2013年11月17日日曜日

大田市馬路で「マジまち歩き」

馬路(まじ)にある鳴り砂で有名な琴ヶ浜海岸

島根県大田市仁摩町に、馬路と書いて「まじ」と読む地域があります。

今回はこちらで、まち歩きに参加してきました。

ちなみに、全国的には「馬路」と書くと高知県の馬路村(うまじむら)が有名です。
しかし、ここ馬路(まじ)も、全国的に有名・高名な地域です。

馬路にある全国に通じるモノとは、
  • 本因坊道策の出生地・生家
  • 世界遺産エリアに含まれる鞆ヶ浦
  • 石州左官の技術の粋・鏝絵(こてえ)
  • 鳴り砂・琴ヶ浜

です。

この4つの資源を売り出し、人を呼びこもうと馬路まちあるきボランティアガイドのグループが活動されています。
その名も「ゲナゲナ話」。ゲナゲナとは、「あげだゲナ、こげだゲナ」というところから来ていると思います(想像)。「ああらしい、こうらしい」の意。
要するに、世間ばなしですね。堅い話ではなく、 世間ばなしのように、まち歩きしながら楽しい話が聞ける、というものです。


本因坊道策

マンガの影響で、本因坊といえば本因坊秀策が有名になっているような気がしますが、この道策は「棋聖」と呼ばれ、現在でも慕われています。

生家が実はまだあり、非常に立派な家でした。


世界遺産・石見銀山の銀の積出港 鞆ヶ浦(ともがうら)

そして、石見銀山世界遺産エリアに含まれる鞆ヶ浦は、石見銀山から算出される銀の積出港として栄えた歴史があるようです。
正面の小道は、昔の山陰道らしい
現在、石見銀山の積出港として有名になっているのは、温泉津(ゆのつ)の沖泊港(おきどまり)ですが、銀山開発初期には、ここ鞆ヶ浦が利用されていたそうです。
なお、石見銀山からの距離で考えれば、沖泊よりも鞆ヶ浦の方が近いです。

では、なぜ積出港が鞆ヶ浦から沖泊に変化したのか。

その理由は、ガイドさんの説明によると2つの側面があるそうです。
  1. 小規模集落で増大する受入需要に答えられなくなった
  2. 尼子方の湯氏(ゆ・し)が現在の湯里を治めており、毛利方は馬路方面に進出できなかった
1番目の理由ですが、鞆ヶ浦は小さい集落で、最盛期でも50軒程度しか居住していなかったらしく、石見銀山の産出量が増加するにともない、積み出しの需要が増え、海運のための船頭や船員の受入ができなくなったとのこと。
他方、沖泊は温泉津に宿があるなど、受入が十分できる地域だったことが大きいようです。

2番めの理由は、戦国時代の勢力関係が影響していたということです。
対立していた尼子氏方の湯氏が治めていたため、近い鞆ヶ浦に出せず、遠い温泉津方面に積出港を求めた。
ただ、鞆ヶ浦方面だと峠を2つ越えなければいけないのに対して、沖泊方面だと1回で良かったようです。

鞆ヶ浦の集落構造:狭い谷に集住
沖泊より鞆ヶ浦の方が近い

こういった案内・説明を聞きながら歩くと、ほんとに楽しい時間になります。
ただ、「一人で歩きんさい」ということになると、魅力は伝わりにくいですね。

鞆ヶ浦の上の写真、谷の方向に対して住居が斜めに立地していますが、これも理由があり、海からの風に対して家の角をぶつけることで、風の直撃を避ける工夫だそうです。


鳴り砂 琴ヶ浜

馬路にある琴ヶ浜は、全国でも数少ない鳴り砂の海岸です。


http://instagram.com/p/gzNZypIhf0/#

このビデオを見てもらえるとわかると思いますが、キュッキュッ♪ときれいな音がします。

このきれいな音が出る理由は、汚れが少ないためと言われています。

こうしたきれいな音が保たれているのは、地域の方の自主的な清掃活動のたまものだと伺いました。
事実、歩いている時にも地域の方が砂浜にあるゴミを整理されていました。

海岸一斉清掃のような形ではなく、日常的に自主的にされていることがスゴいことですね。

砂浜の奥が馬路の集落

約1.5時間を使っての、まち歩きでしたが、すごく楽しい時間でした。
「ゲナゲナ話」、いいですよ。

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