2013年11月11日月曜日

大田市出身の南画家・西晴雲を知っていますか

おおだまるごと みちくさ日和のプログラムの一つとして「波根まちあるき 西晴雲に出会う旅」に参加してきました。

正直、芸術はよくわからないので、大田市出身で著名な南画家がいる、という説明を聞いても「うーん・・・よくわからないな」という感じでした。
そもそも、“南画”というジャンルもよくわからないし……。

このように、当初はちょっと自分の興味からは外れていました。

しかし、上記リンク先を見てもらえばわかりますが、プログラムのイメージ写真としてあがっていた、西晴雲の絵の写真をみて、「お、こういう絵は好きだぞ」と思い、参加しました。


プログラムの概要

長福寺(波根)→波根のまち歩き(旧山陰道の一部)→波根まちづくりセンター→八幡宮→西晴雲コレクション拝見→波根駅


西晴雲
西晴雲という人物


現在の大田市久手町に明治15年(1882)に生まれ、明治35年(1902)に、彫刻師を志して奈良に赴く。左目を病んだため日本画に転向した後、上京し南画を学ぶ。
大正3年(1914)に中国に渡り、南画を学ぶ。

昭和20年(1945)に戦争終結すると、その翌年に帰国し、サントリー創業者である鳥井信治郎が後援者となり、鳥井邸内のアトリエで創作活動。

昭和37年(1962)に鳥井信治郎が逝去すると、郷里大田市に帰り長福寺で「群雀雪景図」を製作。



当日の様子

集合場所兼最初の西晴雲作品観覧場所は、波根(はね)の長福寺。

長福寺
参加者は12名ほどで、アート系プログラムにこんなに参加があるのかと驚きました。


ここ長福寺は、西晴雲が大田に帰ってきてから、滞在して襖絵を描いたりされたお寺で、作品も数多く残されています。
下の写真は、竹林の七賢を描いたものだそうです。


下の写真にあるような、色遣いがこの人の絵の良さだなと思います。 

 

これはたぶん、雀なんだろうけどけっこうシュールなポージングで気に入った(笑)




 西晴雲とは話題が逸れますが、この長福寺というお寺は戦国時代の名将・毛利元就とも縁のあるお寺で、なんと毛利元就の陣羽織が残されていました。
歴史的には、毛利元就がまだ大内氏の配下であったころに、尼子氏を攻めに山陰側を訪れ、尼子氏に敗れた際、長福寺に立ち寄ったそうです。
その時、長福寺の住職が元就を励まして休ませたことがあり、後年力を付けた元就が尼子氏を滅ぼすことになります。
そうした縁から、陣羽織も遺されていたようです。

長福寺を出た後は、今でこそ生活道路ですが、旧山陰道を歩きながら西へ向かいます。



山陰道沿いには、八幡宮があったり、旧波根小学校があったりとなかなかおもしろい町並みでした。
ちなみに、昨日ポストした「大田は信仰の聖地だった」でも紹介した喜多八幡宮も、鶴丘八幡宮もそうですが、ここの八幡宮も、本殿の屋根に普通ならあるはずの“千木(ちぎ)”がないんです。

鰹木もないんですよね。不思議です。そういう造りなのでしょうか。

その後、移動した先では個人的に西晴雲の作品をコレクションしている方に特別に見せていただきました。
絵だけでなく、書や陶器もあり、こんなにたくさん作っていたのかと驚きました。また、それを一つ一つ集められた個人収集家の方もすごいです。


作品群です。

時間は13時から16時過ぎまでと、3時間ちょっとあったのですが、あっという間でしたね。

あっという間に感じた理由のひとつは、やはり西晴雲という人の作品を見て飽きないということがあります。
作品数が多いということのほか、やはり色遣いが好きだし、なんかうまく説明できませんが、味のある絵ですね。
その分、陶器はあまり惹かれなかったですが。

もうひとつは、波根のまち歩きです。旧山陰道を歩きながら説明を聞いたり、地区として井戸を利用していた生活文化などは、好奇心を刺激されました。


やっぱり、歩いてみると町は違った見え方ができます。
それに案内人の人の語り口などが加わると、ほんとに楽しいです。

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