2013年11月24日日曜日

再エネは地域力(ソーシャル・キャピタル)を醸成する第一歩となり得る

少し前に買っていて、まだ目も通していなかった『人口減少社会という希望』(広井良典)を読み始めています。

この本の中に「5 鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」という項目があります。
p.77で
自然エネルギー拠点の整備というテーマは、<中略>ローカルな「コミュニティ」(の再生)という視点が不可欠ではないかと思うからである。 

という記述がありました。

これは、よく話をする人との話の中でも出てくる内容なので、気になってポストしてます。
引用した文章だけだとちょっとわかりづらいでしょうか。

要するに、自然エネルギー(再エネ)の取り組みを進める上で「コミュニティの再生」という視点が不可欠だという話です。

広井の論理の流れは、【自然エネルギー(再エネ)整備に、コミュニティ再生の視点が必要】というものですが、私たちの話の流れは、【コミュニティ再生の第一歩として、再エネの取り組みは有効】というものです。

どっちがどっち、というものではないんですが、地域振興、コミュニティ再生という場面にいると、何かコミュニティがまとまる契機が必要だと感じています。
そういう意味で、小水力や自伐林家の取り組みなどはコミュニティとして取り組むいいテーマだなと考えます。

なぜなら、これまでの火力発電や原発のように自分の暮らしから遠い存在としてではなく、身の回り、半径100mからできる取り組みとなります。まさに、「自分のこと」「自分たち(コミュニティ)のこと」として考えることが求められるからです。

地域振興という枠組みの中で大きな課題は、人材(マネジメント、リーダーの不在)に加えて、そうした人たちを支え、着いていこうという意識の醸成です。

こうした意識を、近年では“地域力”と読んだり、学術的には“ソーシャル・キャピタル”というようにして、把握しようと試みられたりしています。
(ちなみに、私もソーシャル・キャピタルについて文章を書いています)

ソーシャル・キャピタル的に言えば、再エネについてコミュニティ内で語り合いビジョンを考えるプロセスが内部の結びつきを強化し、その結びつきが次のアクションへの駆動力となります。
もちろん結びつきが強くなり過ぎると、今度は“しがらみ”といった形で身動きがかえって取れない状態も生まれます。
ただ、いずれにしてもコミュニティのソーシャル・キャピタルを醸成しようという動きは求められいますし、そこに大義名分として最適なのは、これまでなら「防災」でしたし現在なら「再エネ」だなと感じています。


人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 (朝日選書)
広井良典
朝日新聞出版 (2013-04-10)
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